お願い

透頂香ういろうは、その存在意義を示す「気を合わせる」作業が出来なくなったため2004年8月で製造を終了し、復元は不可能になっています。ですから現在販売されている薬は本物ではありません。またその製薬行為自体、許されないことです。
理由は次の通りです。

1、透頂香ういろうは薬局製剤(薬局で造る薬)として製薬許可を得ていますが、実際には薬局とは別棟のGMP(製薬工場における設備規則)に違反した工場で製薬されています。
この製薬業務は薬局製剤の定義そのものに反するため、既得権は得られません。

2、透頂香ういろうは2005年から約8年間、一子相伝の製薬法を修得した薬剤師がいないにも関わらず製薬されていました。
その間に製造された薬の、大きさ、匂い、味、舌触り、はそれ以前に薬剤師が製造した薬と違っていました。

3、2の薬剤師不在の間に製薬した透頂香ういろうを「薬事法で認可された薬」という偽りの名目で販売していました。

4、外郎家が運営している会社。(株)ういろうの現社長は、薬を製造するための製法の全ての作業を修得承継していません。
 処方製法を違えると、時には死に至る有害な副作用が発現します。

5、2004年、現社長は天皇家の御紋の使用を禁止しましたが、歴史的背景により、その時は透頂香ういろうの製造も止める、という約束を破っています。

詳細は次頁に記します。

詳細
1、透頂香ういろうは昭和39年まで一般用医薬品として認可されていました。しかし、昭和39年に制度の変更により、その薬は以前の処方のままでは製薬許可が下りないことになり、処方を変更する必要が生じました。
 それ以前、戦時中に厚生省は、林陸軍大将、阿南大将から透頂香ういろうを末永く存続させて欲しいとの依頼を受けていました。
 更に林大将から、透頂香ういろうの由来と共に、その薬は処方製法を省略変更すると、薬の使用者に死に至る有害な作用が発現するため、その必要がある時は製薬を止めることになっている、という話を聞いていたそうです。
 そのため厚生省は当時、本来の透頂香ういろうを製造していた外郎家最後の当主(先代社長)にその理由、根拠を尋ねて確認し、その薬を、処方製法を変更せずに製薬を許可することが出来る薬局製剤に変更することを検討しました。
 ところがその薬は製薬に広い場所が必要であり、薬局製剤に定められている、薬局の調剤室で製薬する、という条件では製薬不可能でした。
 調剤室以外の場所で製薬するという、定義に反する業務には既得権さえ認めることが出来ないため、厚生省は薬を存続させることを一旦断念しました。
 しかし勅命を守ってきたことを評価して再考し、同じく薬局製剤では許可されない卸売りに既得権を認めることで、卸売するだけの量を生産する必要がある事を言い訳に、製造所での製薬を黙認し、薬局製剤として製薬を許可しました。
 ただし、これは特例措置であったため、既得権である卸売りが出来なくなった時には、二度と製薬はできない、という条件が付きました。
 そのため厚生省は先代社長に、卸売りを止めないよう再三注意し、先代もまた既得権が消失した時は二度と製薬をしないこと、を厚生省に約束しました。そして覚書を作成したと、番頭さんより聞いています。
 2004年11月、養子である(株)ういろうの現社長は、透頂香ういろうの卸売りを止めることに決め、それにより行政から薬を調剤室で製造していないことを指摘された時は製薬を止める、と先代に約束し、翌年実際に卸売業務を終了しましたが、それは先代へ報告しませんでした。そのため先代は、その時から薬事法に違反した製薬が行なわれていることを知りませんでした。
 2006年に保健所の査察があり、その時製造所で製薬していることに対し違法の指摘を受けましたが、現社長は製薬を止めませんでした。言い換えれば、先代との約束を破り、今日まで製造所で製薬を行っています。
 それ以前に先代は、特例措置であれ製造所で製薬を行なっている以上、GMPは是非導入したいと資金を用意し、専門家に依頼して設計図を作成しましたが最終的に導入出来ませんでした。更に既得権が消失した(卸売りが出来なくなった)時に備え、調剤室を製造所並に拡張する計画を立てましたが、それも実行出来ませんでした。

2、 2004年当時、透頂香ういろうの製薬に携わることが出来る薬剤師は89歳になる先代と、その娘だけでした。
 先代は時々判断力、記憶力の低下を起こしていたため、娘の補佐を必要としました。しかし娘はその数年前から体調不良でした。そこで、補佐を手伝って貰う目的で、2004年9月に現社長を養子に迎えました。
 しかし、その前の8月に娘は療養が必要になり、会社と実家を離れました。そして2005年4月に入院し7月に退院、8月には会社を退職しました。又、先代は2005年5月に緊急入院してから、 入退院を繰り返していたため、2014年に死去するまで製薬作業を行うことが出来る状態ではありませんでした。
 ところが、透頂香ういろうの製造はその間(2005年以降)も続けられていました。また、2005年7月には、一部の社員が透頂香ういろうの匂いと大きさが以前と違っている、と話していました。
 保健所は2006年に査察を行った際、現社長と(株)ういろうに対し、製薬法を修得した薬剤師が不在のまま製薬していることを指摘しませんでした。
 この違法行為は、2013年、現社長が薬剤師免許を取得するまで約8年続きました。

3、2005年の夏、愛用者の方から「最近購入した透頂香ういろうが以前の薬と味と舌触りが違うが、処方を変更したのではないか」という問い合わせがありました。
 同2005年8月に、問い合わせを受けた、先代社長は、透頂香ういろうの匂いと味が変わったことを確認しました。しかし薬の変化を科学的に実証することは出来ませんでした。

4、 透頂香ういろうは漢の時代の薬で、掟により、処方構成と製法一つ一つの意味、生薬の薬効と性質、取扱い方とその理由、薬の存在理由である最終の確認作業まで、全て修得しないと製造が許されません。
 掟が定められているのは、薬に副作用を発現させないためで、その理由まで明らかにした警告事項が示されています。また生薬の成分が一定でないことも要因となっています。
またこの薬は完成までに五年の熟成期間を要し、その間の作業もあることから、製法を修得するまでに最低5年、必要です。
 因みに先代は国立大学を卒業して薬剤師免許を取得していましたが、それでも修得までに10年を要しています。
 しかし、現社長は熟成に掛かる5年間の作業を見ることも教わることもなく(即ち製法を受け継ぐことなく)入籍後わずか数か月で製薬を行っています。
 更に、掟は、処方製法の変更が必要になった時のみならず、変更がなくとも、副作用の初期として、具体的に示された症状が薬の使用者に見られた時は、直ちに製薬を止め、以後二度と薬を造ってはならない、と定めています。
 しかし、2019年以降、透頂香ういろうをお使いの方に、その症状が出ている事を耳にするようになりました。

5、 透頂香ういろうにおける歴史的背景は、室町時代、応仁の乱後の荒廃した時代に暮らす人々の様子に御心を傷められた、後柏原天皇が、外郎家五代目の当主(小田原外郎家初祖。1469―1556)に「透頂香ういろうを、貴賤貧富の別なく、全ての病に苦しむ人の手に入る薬として、末永く造り続けるようにしなさい」という勅命を下され、その証として天皇家の十六弁の菊花の御紋を授けられました。
 その時、五代目は既に宇野家の養子になっていましたが、御紋を拝領した外郎の姓を残すため「外郎宇野」と名乗りました。そしてその時、御紋の使用が出来なくなる時は、勅命に従えなくなることを意味するとして、透頂香ういろうの製造を止め、同時に外郎姓の使用も止めることに決め、家憲として残しました。この三点は、どれか一つでも止める時は後の二つも止める、ということで、順番はありません。
 尚、林仙之陸軍大将はこの勅命の内容をご存じで、厚生省に伝えておられました。
 しかし現社長は、拝領した御紋を使ってはならないと決め、実際2014年の祇園祭の際に天皇家の御紋が付いていない法被を着用して、八坂神社の神々に勅命に従わない意志を表明しましたが、今も家憲を破ったまま製薬を続けています。

 先代社長の娘は、古来口頭のみで繰り返し教えることで継承されてきた、製薬法を学んだ旧外郎家最後の末裔として、見せかけの薬の製造販売を止めさせようとしましたが、事実上何も出来ませんでした。更にこれまで、初代の「外郎家の者がその歴史を公に語る時、家は滅び、家業は失われる」との予言と、五代目が定めた「如何なる時も争いの場に天皇の御名を出してはならない」という家憲が足枷となりました。しかも最近は、薬について二千年前から、先祖が何より恐れていたこと(有害な副作用の発現)が現実になっている可能性があるようです。
 そこでせめて、現在、透頂香ういろうが昔と同じ薬ではなく、常用した場合は有害な副作用が発現する可能性があることを、薬を服用していらっしゃる方々にお伝えしたいと思い、この文章を作成しました。お心にお留め頂けますよう、心からお願い申し上げます。

 尚、現(株)ういろう社長は外郎家家伝の菓子「ういろう」のレシピと製法を継ぐことを自ら拒否しました。