薬のういろう(透頂香ういろう)の処方構成

はじめに

 現代医学では、薬は両刃の剣のようなもので、効果があるものに副作用はつきものであり、病気を治す薬で逆に他の病気を発症する場合があってもそれは仕方がないことだ、という考えが、いわば常識となっています。

また、昔からの漢方薬の処方の多くは、生薬を適当に組み合わせて使用した経験の積み重ねにより生まれたもので、ある漢方薬がどんな症状に何故効果を発揮するのか?という理由は後から検討され、理論づけされた、と考えていらっしゃる方が多いようです。

 しかし、約二千年前の漢の時代に不老長寿の薬として「陰」「陽」「中間」という三つで一組の薬を造った仙人は、人の身体を健康にするための薬で逆に身体を壊すようなことは、決してあってはならない、という信念を持っていました。言い換えれば、病気を治すために幾つかの生薬を組み合わせて造った「薬」により、服用する人に何か有害な症状が表れるようなことがあれば、それは「薬」とはいえないものなので、二度と造ってはならない、という考えでした。しかし三つの薬の中で、特に「陽」の薬は、処方製法を違えて造ると、有害な副作用症状を示す危険性がありました。一方、三つの薬はどれも長期連用が可能な薬ですから、万一有害な症状がでても、その薬が原因だと特定することは出来ないことが予想されました。そのため、時代の変遷に伴い、自分が考案したのとは違う、有害な副作用を持つ薬が造られ、それがこの世に残ってしまうかもしれない、と不安を感じた仙人は、製薬に関して、間違った薬を造ることが出来ないよう、幾つも防御策を講じた掟を設けました。この、単に、生体を害するような症状の発現を阻止する目的のためだけに決められた掟は、2004年まで代々の薬の承継者によって守られ、古代の薬のままで伝えられてきました。

 また、これらの薬は先に処方が作られ、その処方に基づいて必要な生薬を集めて製造されたと伝えられています。それも、古代の人は人間も植物も動物も昆虫も、皆同じくこの世を生きる仲間であり、その仲間である動植物が、人間達のために自分達の命を分けてくれることで、人は健康を維持し、病気を治す薬を造ることが出来るのだ、と考えていました。そのため折角分けて貰った命を無駄にしてはいけない、と生薬の原植物の産地、採集時期、そしてそれを薬として利用するために行う「修治」と呼ばれる下処理作業、各々の生薬固有の波長とその強さを読み取る方法、を全て学び、修得してから初めて、命を分けてくれた動植物への感謝を、人が健康に生きる希望に変えて、薬を造りました。

これで漸く本題に入りますが、この薬の処方は、人の身体は、何らかの原因で横隔膜が固くなり、その動きが悪くなると全身を流れている「気」の動きが妨げられて、様々な病気の原因になる、という古代の考え方を基本にしています。

 尚、ここでいう「気」とは、この世を形作っている最も小さき者達(光の仲間達とも言っていました)が動くことで生み出される流れ(波動)のことです。しかも彼等は、岩のような固い物質の中にいても休みなく動いて、その物質が形を維持するために必要な流れを作っています。しかし何かの原因でその流れに淀みが生じると、彼等がその淀んだ箇所に大勢集まってしまうことになり、互いにぶつかり合ってしまいます。その衝突で生じた強い力を受け取った者達は光より早く動けるようになります。するとその速さのため、彼等は「この世」の結界を抜けてしまい、「あの世」に帰ってしまいます。するとその物質の中で動いている者達の数はそれだけ減少します。その「この世」に残った彼等だけで、その物質の形を維持するために必要な流れが作れなくなれば、その物質は自ずと崩れ、変化していきます。それが古代の「気」についての考え方でした。

話を戻しまして、固くなった横隔膜に妨害されている「気」の流れを正常に戻すために、桂皮、人参、石膏という三つの生薬が組み合わされました。その理由は「気」の流れの一つとして、胃から消化と運化(栄養を吸収する働き)によって得られた、良い作用をするきれいな「気」が肺に上がり、その「気」を受け取った肺でいわゆる「元気」が作られて全身を巡るようになる、という考え方があったからです。桂皮には「気」の巡りを良くする働きがあり、人参は胃で「きれいな気」が作られるのを助け、石膏は熱を冷ます働きがあることから、胃から必要な「気」が送られて来なくても何とか「元気」を作りだそうと頑張りすぎて、熱を持った肺を冷やす効果を期待して配合されました。

しかし、それらの生薬の薬効を必要な臓腑に送り届けるのも、固くなった横隔膜に邪魔されて上手くいかないことが予想されました。そこで、薬効を届ける作用があると考えられていた甘茶を煎液で加えました。成分が抽出された状態で加えた方が、粉で加えるより吸収が早いからです。しかし甘茶は多く摂取すると毒性を示すため、甘草と煎じることで毒性を除きました。
また、甘茶はあくまで生薬の成分を臓腑に届けるだけの役割でしたから、必要のない臓腑にまで薬が届いて、その機能だけが亢進してしまい、他の臓腑の働きと調和が取れなくなる可能性がありました。そこで縮砂という生薬が必要になりました。縮砂は生体の、働き過ぎているところは抑え、弱っているところには、その機能が高まるように作用して、各臓腑の働きを整え、調和させる作用がある、と考えられていたからです。
また、甘茶に縮砂、それに丁子という生薬が加わることで補腎(腎臓の働きを助ける)の効果が得られる、という考えで、丁子が使われました。

更に丁子にヒハツという、一般的にはスパイスとして使われる二つの生薬を桂皮に加えることで、その鎮痛、鎮静作用がより強く発現するようにしました。
また、高貴薬といわれた龍脳(リュウノウ樹という高木由来の生薬)は強いストレスや衝撃的出来事により、魂が抜けたようになってしまった人の精神を回復させるとされて来ました。一方やはり高貴薬とされる麝香は強い精神的衝撃を受けたことで錯乱状態に陥った人を正常に戻すといわれています。麝香は匂いが大変きついので(三十分ほど匂いを嗅いでいただけで、三日間寝込むほどでした)単品で用いることはないと思いますが、心臓の薬としても知られています。この龍脳と麝香だけは、甘茶ではなく阿仙薬が、その薬効を必要な部位に届けるとされています。その阿仙薬は、ちょうど年齢を重ねた人の皮膚がたるんで皺が出来るように、加齢や病気などのため弛緩して拡張や下垂を起こした臓腑を引き締め、その機能を改善するといわれています。いわば臓腑を若返らせてくれると信じられていました。しかしその刺激作用は大変強いものでした。そこでその作用軽減のために、石膏とホウ砂が用いられました。

またホウ砂は生体の何処かが損傷した時、そこを修復しようとして集まった血液が、余分に集まりすぎて固まり(血栓)を生じる、または損傷部位と周囲の組織が、集まりすぎた血液を介してくっつく(癒着を起こす)、といったことがないよう、余分な血液を溶かして散らす目的でも配合されています。多すぎれば修復に必要な血液まで溶かしてしまうので注意が必要でした。阿仙薬はその量の加減にも役立っていました。
 その阿仙薬にヒハツを組み合わせることで止瀉効果(下痢を止める作用)も高まるそうです。ただ面白いことに食中毒のような体内の毒素を排出させる必要がある時は、この止瀉効果は機能しない、つまり毒素が除かれるまで下痢が止まることはない、とされています。この薬には制吐作用もありますが、それも同じく毒素を吐き切るまで嘔吐は止まらないそうです。

 それから丁子とハッカの組み合わせは、目の前が真っ暗になるような気分の落ち込みを抑え、龍脳、麝香と共に精神状態の改善効果を高めます。
 ハッカは今でも芳香健胃薬として使われますが、この処方の中ではそればかりでなく、他の殆どの生薬の働きを高めるために役立っています。
更に甘草の持つ各生薬の薬効を調和させる働きは、縮砂の持つ各臓腑の働きを調和させる働きと相まって、身体の機能全体のバランスを取るために作用しています。また人参は体内の「気」を増やし、巡りを良くすることで、身体に力をつけて他の生薬の働きを底上げしています。

この薬には今でも「香」として用いられる生薬が幾つも入っていますが、これらが混合されることで生み出される「匂い」は、服用する人の精神状態を穏やかにし、自然の流れに身を任せる大らかな気持ちにさせてくれる、とされています。つまり香りが持つ癒しの効果まで利用していました。

更に薬の表面を覆う純銀は、水に接すると(イオン化して)殺菌効果を示しますが、金属の多量接収は身体に悪い影響を及ぼす、という古代の考え方から、阿仙薬と組み合わせることで銀を水に溶けない物に変え、生体に吸収されずに体外に排出されるよう工夫されました。
しかし、これだけ綿密に設計された処方でも、長期連用と多量摂取の場合の副作用は除き切れませんでした。そこで最低一年の熟成が必要になりました。その副作用の主な原因は阿仙薬にあります。原始的な抽出法で製造されるため、その安全性を完全に見切ることは困難でした。その強力な刺激を受け続けた粘膜はやがて変性してその機能を失ってしまう、といいます。そのため、阿仙薬の品質によって、幾つかの下処理作業を増やす必要や他の生薬の量を調整する必要がありました。しかしそれでも刺激が強すぎた場合を考慮して、阿仙薬の作用が他の生薬の作用と完全に調和して粘膜を傷つける心配がなくなるまで熟成させる方法が取られました。

そればかりでなく、龍脳、麝香、阿仙薬の突出した作用を、他の穏やかに作用する生薬と調和させ、バランスよく効果を発揮させるためには、そこから更に四年は熟成させる必要がありました。薬が丸薬なのは、薬全体をむらなく熟成させるために一番効率が良い形が球形だったからです。
こういう訳で、製薬を行う者は熟成前と一年熟成後、五年熟成後の薬の、味、匂い、大きさの微妙な変化が感じ取れるようにならなければなりませんでした。そのため、この薬の製造法を継承するまでには大変時間が掛かったのです。匂いも大切な薬効の一部であったため、匂いが違っているということは、薬が違うものになっている、つまり製法のどこかを間違えているか、掟が守られていないことを意味します。

蛇足ですが、江戸時代に祝い事があった時に造られたという「花ういろう」は、銀の粒の中に金の粒を混ぜたものでした。しかしたとえ金であっても、金属の多量摂取は身体に良くない、という考え方から、混ぜる金の粒の割合は、上限が厳密に決められていたそうです。
上記のように三つセットの薬の中の「陽」の薬である透頂香ういろうの処方は、現在でも通用するのではないか、と思えるほど理論的に構成されています。言い伝えでは山の神様との感応により処方を教えて頂いたことになっています。

その薬効はただ一つ「九竅を開く」ですが、処方構成をみる限り「破綻寸前までいってしまった自律神経の失調を治す薬」といっても良いと思います。そしてこれらの薬はオーケストラのように構成生薬全てが何らかの関係を持って組み合わされていますから、処方を一部でも変更、省略することは、いわば、オーケストラで使用する楽器を一つでも他の楽器に入れ替える、またはその楽器を使用しない、のと同じ事になり、オーケストラの場合は、奏でる曲の音色が変わってしまうように、この薬の薬効も変わってしまうことを意味します。また、製法を変えることも出来ません。何故ならこの薬は生薬同士の助け合いによって薬効を発現させているため、一方の生薬の薬効が大変高く、その効果を助ける生薬の薬効が低い場合には、必要な薬効が得られなくなる場合があります。しかし貴重で入手量が少ない生薬は、品質的に使いたくない時でも使わざるを得ません。そこで、製法により、生薬の品質に多少の変動があっても薬効を維持出来るようにしました。通常は行わない下処理作業が幾つか決められているのも、そのためです。ですから製薬法を変更省略することは、材料生薬相互の調和を崩し、違う薬にしてしまうことを意味します。

そして、その製薬法は。実際の製造作業に参加させながら、口頭のみで繰り返し教えることで伝えられ、書き残すことは許されませんでした。同じ言葉でも時代と社会の変化により意味が変わってしまうことがあるからです。
そればかりではありません。これらの仙薬が考案された目的は、肉体的な病気を治すことだけではありませんでした。古代神秘思想では、この世に生きる人が、長く、強く苦しみを受けると、魂までその苦しみに囚われて道に迷ってしまい、「この世」に来た目的と、自分がそれ以前に存在していた次元(あの世)のことを忘れてしまう、と考えられていました。そのため、耳目を通してではなく、身体を通して、直接魂に正しい道を示し、この世に来た目的を思い出して、自分の望む次元に自由に行けるようになってもらうことが、この薬の本来の目的でした。しかし薬の波動を高次元宇宙の波動と直接共鳴させることは出来ませんでした。そこで、法華経という最も高次元宇宙と共鳴しやすかったお経の「気」を薬に籠めることにしたのです。そのため、製薬法を継ごうとする者は、古代の神秘思想について学び、観普賢菩薩行法経と呼ばれるお経に基づいた修行をして(この修行は、男性ばかりでなく女性も行えるように、各々違う修行法が伝えられています。女性は生理的に身体を冷やしてはならない、とされていたからです)、法華経の偈(詩になっている部分)を暗記し、製薬中は無念無想の状態で、偈を唱えながら作業を行い、製薬の最後の段階では「気を合わせる」と呼ばれる最終作業が出来るようにならなければ、薬の承継者とは認められませんでした。そのため、女婿として外郎家に入った二十三代当主は、製薬法を修得するまでに十数年かかり、子供の時から養子に入った二十四代当主でも十年という歳月を必要としました。

以上のように、透頂香と、組になっている二つの薬(中間の薬は更に三つに分かれていますから、全部で五つです)は中途半端な覚悟や知識で造ることが出来ない薬です。仙人は、病に苦しんでいる全ての人達に、この世で幸せになって欲しい、という願いを籠めて薬を考案したからです。ですから、製薬に際して最も重視され、決して破ってはならないとされていた二つの掟の内、一つは薬を服用する人達のお身体に関するものですが、もう一つは、これら仙薬の製造作業に従事する人の健康を考えて設けられています。
尚、薬は二度と製造出来なくなっていますから、残り二つの薬の処方内容は記載しません。どうぞ、悪しからずご了承下さいますようお願い申し上げます。以上です